- 髙谷時彦 教授「各自が活動するための1つの“テーブル”が用意され、様々な側面からまちづくりにアプローチできる」
- 伊藤眞知子 教授「みんながケアをする側にもまわる社会、そのシステムをいかにして構築するか」
- 澤邉みさ子 教授「網を広く張って精査する、私の研究の枠を超えていって欲しい」
- 武田真理子教授「“人”が重要なカギを握る、官民協働のあり方を探る」
- 温井亨 教授「人が暮らす中でできた風景をいかにして保存、再生するか」
――次に庄内町での活動についてお聞かせだくさい。
庄内町にはいま私自身が住んでいます。もともとは余目駅前の米倉庫を「新産業創造館」として再生する事業との関わりからスタートしました。その後、芸工大を辞め公益大の教員になり、庄内に住む必要が生じました。そこで、住むために、そして、演習の段取りをするために、さらに、庄内町で私が関わっている様々な打ち合わせに出席するために、という一石三鳥を思いつきました。駅前の空店舗を借りるアイデアを商店街の酒屋さんに話したところ、びっくりされると思いきや、予想外に話がはずみ、住宅地図で空いているところを教えてくださいました。結局、3軒を見て15年間空き家だった元花屋さんに決めました。古い建物ですが、少々手を入れ快適な住まいとして使っています。
住まいとしては裏側の2部屋を使っているのですが、表の店舗部分を改装し、今年(H23)の7月に実験カフェ「コーヒーハウス」(仮称)をオープンしました。これは県の商業・まちづくり振興課のまちづくり人材連携強化事業の助成を受け、県と庄内町から公益大が受託したプロジェクトです。去年から準備を始めて掃除、実測、設計、施工など、地元の多くの方のご支援を受けながら実施してきました。つい先日も塗装を行ったのですが、塗装職の方の指導を仰ぎながら、町内会長、会計の方、商店会長をはじめ、地元商店の方、役場職員、ゼミ生4人、院生1人が作業を行いました。下塗り、上塗り、天井の障子貼りなど全部で3日ほどかかりました。庄内総合高校から椅子も寄贈していただき、オープニング後には庄内映画村からピアノをもらい受け、カフェとしての魅力的なしつらいがほぼ整いました。既に地域のおばあちゃんたちが活用してくれましたが、かつて商店街でたくさんのお店が開いていたときには、おばあちゃんたちは互いにお茶飲みに寄って井戸端会議に花を咲かせていました。しかし、最近ではかなりの数の店がシャッターを閉じ、地域の交流が失われかけています。商店街の店舗がシャッターを閉じて住宅化してしまい、そこにお年寄りが独り住まいをするという状況です。そこで、このようなスペースをウィークデーに開けて再び井戸端会議などに使ってもらい、また、夜は地域の方たちが一杯やりながらの勉強会などにも活用してもらえればと思っています。例えば、いま「まちづくりを考える会」のようなものを立ち上げるべきではないかと話し合っているところです。新産業創造館の事業は、いま議会が待ったをかけ中断していますが、その原因の1つは地元を含めた町民の理解、議論が足りないところにあります。まずは地元で、そして町民全体をまきこんで、話し合いが盛り上がらないことにはまちづくりは進まないと思います。そのためにこのスペースを利用してもらえればと思っています。今後はオープンカフェのような場が本格的に開店することが望ましいのですが、いまはまだ実験カフェの段階なので、徐々に、情報の伝達、コミュニケーションの場としての機能をもつように再生を図っていきたいと思います。このような空店舗の整備は、地域の賑わいを創出すると同時に、担い手を育てる仕掛けとしても機能していくものだと考えています。
さらに、私の住まいの近くにあるもう1つの空店舗を活用するという演習も行いました。実測して図面を起こし、模型をつくり、荘内銀行の方には融資について、まちキネの方には事業計画について講義もしていただき、学生が考えたアイデアを駅前の公民館で発表しました。この演習で当初は事業計画書を書いて、融資を受けるという話までやろうと思っていましたが、残念ながら演習では事業計画までは進みませんでした。けれど、演習で講師をしてくれた荘内銀行の方が翌年に大学院修士課程に社会人入学してくれました。
庄内町は、鉄道開通まで庄内町役場周辺が中心市街地であったため、付近にはいくつかの歴史的な建物などがあります。例えば、最近「しょうゆの実」が人気のハナブサ醤油がありますし、その向かいには余目ホテル本店という歴史的建物があります。これは申請すれば登録文化財以上になるような立派な建物です。そこを西に向かって進み、途中で左に曲がると鯉川酒造があります。さらに南西に進むと、中世の城跡である館(たて)の農村集落があり、大きな屋敷構えの農家が並んでいます。その通りには御小路(みこうじ)という名前がついていて、かつては殿様が馬に乗って歩いたのかもしれません。
他にも、見所として米倉庫があります。新産業創造館として再生しようとしている駅前の倉庫は、明治に農民たちの手によってつくられた産業組合の倉庫です。そのころ、庄内の米の流通は旧士族中心の山居倉庫が握っていました。そのため、産業組合の倉庫に対しては妨害もあったようですが、それを乗り越え実現したので、梁を山居倉庫の倍の長さにしたという立派なものです。その後、昭和に入って山居倉庫がさらに大きな倉庫をつくり、そこは現在も全農米倉庫として使われていますから、庄内町は米倉庫を巡っても面白いまち歩きができます。
まちづくりでは、このようなまちの見所について、まずは地元の人が歩いてみたり、勉強会をやってみたりということからスタートする必要があります。そこで見つけたものを、例えばJRの「駅長オススメの小さな旅」などの冊子に載せるというような方法もあるでしょう。そのときは案内をする観光ボランティアや、コースの途中に歩き疲れたときに休めるような場所の準備も必要になるかもしれません。まち歩きコースを整備することで、農村部や他所の市町村から文化的な場所に魅かれて人々が中心市街地にちょくちょくやって来られるように、地域の価値資源を活かしながら中心部を再生していくことが大切です。