- 髙谷時彦 教授「各自が活動するための1つの“テーブル”が用意され、様々な側面からまちづくりにアプローチできる」
- 伊藤眞知子 教授「みんながケアをする側にもまわる社会、そのシステムをいかにして構築するか」
- 澤邉みさ子 教授「網を広く張って精査する、私の研究の枠を超えていって欲しい」
- 武田真理子教授「“人”が重要なカギを握る、官民協働のあり方を探る」
- 温井亨 教授「人が暮らす中でできた風景をいかにして保存、再生するか」
――いま特に力を入れている研究はどういったものですか。
家族社会学という分野になりますが、なぜ女性に家事、育児、介護などのケアの役割が割り当てられたままで変わっていかないか、つまり、家族に関わるケア役割に関心があり、目の前のことを変えていくにはどうしたらいいかを考えています。男女共同参画政策というと狭くとられるかもしれませんが、社会保障制度、税の仕組みなどの政策にも関係しており、どのように制度を変えていくか、単なる一人ひとりの心がけではなくて、具体的にどう動かしたら社会システムが変わっていくかということに私は関心があります。
いま「庄内子育て応援協議会」会長として子育て支援の実践に関わっていることもあって、これからの家族をどう描くかということを調べています。最近ではケアをする側の象徴としての母、ケアをされる側の象徴としての子どもというセットで家族を考えていったらいいのではないか、という考え方が出されています。20世紀、あるいは近代の家族では父と母がいて子どもがいるというあり方でしたが、それをケアする、ケアされるという関係性を軸に家族と呼んではどうかという考え方です。米国の哲学者のエヴァ・キテイ氏は、「みな誰かお母さんの子ども」で、ケアをされていまがあり、将来高齢になったときにケアをされるのだから、そこを起点に考えてはどうか、と提案しています。近代の社会はケアする役割を女性に割り当て、男性はそれをしないという前提で工業化を進め、経済活動を組み立てましたが、そのあり方そのものを組み替えるということになります。みんながケアをされる側ですから、ケアをする側にも回っていく、それができるような社会をどのように構築するか、これを私は究極の公益と考えています。研究としてはいまそこに強い関心があります。でも、それで本当にいいのか、家族の中の男女という愛情なり性なりの結びつきをどう考えていくのかなどの問題があり、ケアをする、ケアをされるという関係だけに特化してよいかということには様々な議論があるところです。でも、この考え方をどんどん議論にのせていきたいと思います。私たちは既存の家族のあり方のイメージにとらわれているので、一度そこを壊してみるといいのではないでしょうか。
研究ではありませんが、東日本大震災後に災害とジェンダーのシンポジウムの実行委員会という形で全国のいろいろなグループが結集し、毎日のようにメーリングリストで情報をやりとりしています。震災直後の対応では、男性が避難所の運営メンバーの中心となったために、女性、高齢者、障害者、外国人の視点に欠け、そうした人たちへの対応が後回しになるということが現実に起きていました。メーリングリストによると、そのことを踏まえて、野田佳彦氏が民主党代表になると、彼の元へすぐに要望書をもっていくという動きを行ったようです。震災の復興をきっかけにして、中央ではロビー活動が活発になり、地方はできることをやるという動きになっています。こうしたことは日々の動きのようなものなので研究とは別だといわれる方もいるかもしれませんが、私は関心をもって追いかけています。
――研究指導はどのようなスタイルで進められますか。
自らの発想や日々の仕事や生活の中の疑問から発したものを大事にしていきたいと思います。必要なところで理論に立ち戻るとか、補強しながら、実践から生まれてきた問いに答えを出していくプロセスを最大限に尊重する形で、私ができる支援をしていきたいと思っています。最終的には実践に還元していただくことが理想ですね。私自身が実践と研究を往復しながら、両方をとらえていきたいタイプなので。
私は社会学の出身なので個人の疑問や関心など好きなことなら何をやっても良い、むしろそれこそが大事という世界でこれまでやってきました。分野によっては様々なやり方があり、例えば、先生がテーマを与えたり、あるテーマについて分担したりすることもあるかもしれませんが、私はそういうやり方はしないというか、できません。問いを立てられること、問いが何なのかを突き詰めることが大事だと思っています。
ただ、社会人は日々、本を読むという生活をしていないことが多いので、それについては課題を出してトレーニングすることが必要な部分もあると思います。私も社会人として大学院に入ったので、そのリハビリの大変さはよくわかります。