- 髙谷時彦 教授「各自が活動するための1つの“テーブル”が用意され、様々な側面からまちづくりにアプローチできる」
- 伊藤眞知子 教授「みんながケアをする側にもまわる社会、そのシステムをいかにして構築するか」
- 澤邉みさ子 教授「網を広く張って精査する、私の研究の枠を超えていって欲しい」
- 武田真理子教授「“人”が重要なカギを握る、官民協働のあり方を探る」
- 温井亨 教授「人が暮らす中でできた風景をいかにして保存、再生するか」
――旧イチローヂ商店の再生活用は県の新しい公共の場づくりのためのモデル事業として補助金の交付が決まりましたが、先生の研究室では、自治体などから調査や計画策定などについてもいろいろと受託されていますね。
例えば、羽黒の手向地区についてまち並みの研究をしています。最初に都市デザインの方法論をつくりたいと申し上げましたが、実は素材に恵まれないとなかなか難しい面があります。その意味で庄内地域は素材の宝庫だと思っています。他の地域にはほとんど残っておらずここ庄内にだけあるもののひとつが手向地区の宿坊で構成される宗教集落です。
手向地区において、宿坊は十数%ぐらいしか残っていません。でも、全体としてはまだかつての宗教集落的な雰囲気は感じられます。それはなぜなのか、どうしたら雰囲気を維持できるのか、ということを研究していきたいと考えています。
もちろん、私たちは昔の宿坊がずらりと立ち並ぶ集落に戻そうということを考えているわけではありません。歴史的な地域であっても、住民の方は当然現代的な生活をしなければならないし、道者さんも宿坊にバスでやってくるようになっているので、駐車場をどうするのかなど、これまでとはつくり方を変えていく必要があるでしょう。そういった機能的な条件を満たしながらも、いままで継承してきた精神性の表れたまち並みを保持する方法があるのではないかと思っています。その原理、原則を見つけたいと考えているのです。いずれにしても少しずつ変わっていくことは仕方がないことで避けられません。変わっていく中でも継承できるものをきちんと受け継いでいくということをやっていきたいですね。
私は基本的にハード屋ですので「コト」の方よりもまち並みを構成する「モノ」そのもののほうに興味が自然と向かいます。「モノ」を考えるときに私たちは、それ自身が見分けられるという意味でのアイデンティティ、ほかのものとの関係の中で存在するという観点からストラクチャー、そしてそのものたるゆえんである意味・ミーニングという3つの側面から捉えています。手向の集落においては、外観に現れた「モノ」に時間の中で蓄積された宗教的意味・ミーニングが込められているわけで、そのポイントを抑えていくことが大切です。
一方で、手向の手向らしさをつくり出しているのは必ずしも宗教だけではなくて、地域の風土が生んできた要素があります。これまで宗教集落の素晴らしいまち並みとして評価されていますが、実は地域の風土性に拠っているところがあるはずです。例えば、修験道においては山そのものの中に神聖さを見出します。“山中(さんちゅう)”にあるということはそれ自体重要なことです。手向の町をはじめて訪れたときに私はこんなに町に近いところに“山中(さんちゅう)”があることに驚きました。
しかし、これは宗教のなせる業というよりも地域の風土が生んでいると解釈しても良いのではないかと思うようにもなっています。森の残し方、建物の建て方、庭のつくり方など風土が育んだ様々な方法が、手向で感じられる雰囲気形成に関係しています。鶴岡の風土というか、山あいの住宅地はもともとそうした雰囲気をもっています。それを継承したともいえ、また、利用したともいえるわけです。
ですから、手向のまち並みの宗教的な雰囲気を守りたいといったときに、宗教的な要素だけに着目しなくても、風土が育んできたものを自然に育てれば、例えば山中にいるという雰囲気も出てくるのではないかと思っています。つまり、まち並みについて宗教的な側面と風土的な側面の両面から捉えようとしています。きっちりとした軸を与えることによって、住民の皆さんとの議論も焦点を絞っていけるのではないでしょうか。