- 髙谷時彦 教授「各自が活動するための1つの“テーブル”が用意され、様々な側面からまちづくりにアプローチできる」
- 伊藤眞知子 教授「みんながケアをする側にもまわる社会、そのシステムをいかにして構築するか」
- 澤邉みさ子 教授「網を広く張って精査する、私の研究の枠を超えていって欲しい」
- 武田真理子教授「“人”が重要なカギを握る、官民協働のあり方を探る」
- 温井亨 教授「人が暮らす中でできた風景をいかにして保存、再生するか」
――ニュージーランドでは貧困問題や依存の問題を世代間継承させないために、教育の分野でも何か取り組みは行われていますか。
学校制度は別にありますが、コミュニティリンクの中で学校と連携した取り組みもあるようです。子どもは、お母さん、さらにはおばあちゃんも、ひとり親で給付を受けて生活ができたということを知っているので、何も考えずに10代で子どもを産み、それでもどうにかなるという意識が形成されやすいようです。しかし、コミュニティリンクとつながっている親子であれば、人生の可能性について様々な関わりの中で伝え、また、10代の子どもたちにきちんと教育課程を修了できるよう教育省なども支援しています。要するに、コミュニティリンクにはクライアントの自立支援のためには関係するところを全てつないでいくという考え方があるようですね。
――先生がニュージーランドのハントリーという地域で行った調査について、印象深かった点などをお聞かせください。
ニュージーランドの先住民族であるマオリについて少し触れておくと、ニュージーランドの建国の年というのは、先住民族であるマオリと英国女王の間でワイタンギ条約を締結した年になっています。豪州の白豪主義、米国のネイティブアメリカンに対する扱いなどを乗り越えて、ニュージーランドは理想主義で先住民族との関係を構築してきた国といわれています。しかし、実は当時の基準においてそういえるのであって、マオリの人たちは土地を取り上げられ、西洋の生活、教育、文化を強いられ、不利な状況に置かれていることは間違いありません。そこで、80年代の行革期と同じ時期にマオリ文化の見直しを行い、現在ではマオリ語も公用語となり、マオリ語だけで就学前教育から大学まで行くことが可能となりました。とはいえ、“3タイムス・ルール”といってマオリの人たちの失業率が3倍、学校のドロップアウト率が3倍という現実がいまも横たわっています。私が調査したハントリーという町はマオリが多く住むワイカト地域の中にあり、貧困率の高い西側地区は住民の約7割がマオリとなっていて、貧困、家庭内暴力、ひとり親などの問題とともにマオリ問題にも取り組まなければならない地域になっています。今回、私はハントリーのコミュニティリンクで一番複雑な問題に対応する女性職員に付いて回り、利用者の方のインタビューに付き添ったり、連携機関の方からも話を伺ったりして、彼女がどういった役割を果たしているのかを調査しました。彼女自身もマオリで、コミュニティリンクの職員もほとんどマオリの人でした。マオリ問題にも配慮しながら、ひとり親世帯とか、困窮してしまう構造的問題に取り組んでいました。
一番印象に残っていることは、行政と民間組織の連携がとてもうまくいっているということです。それはやはり“人”がカギとなっているようでした。まず行政機関の人たちは行革期に組織改正が度々行われる中で意識改革が行われているという背景があります。また、スタッフが地域住民であり、当事者意識が非常に強いということも重要な点です。もちろんニュージーランドにおいても官僚制の問題はありますが、その点について、現場の問題に対して現場の裁量を上げる形で、地域の人にしかわからない特有の文化や問題に関して、当事者意識のある職員が動きやすいように組織体制をつくっていました。
日本の福祉事務所は、戦後の社会福祉制度の下で機関委任事務として厚生省の指導と適正化のもとに現場で住民の特別なニーズがわかっていながら画一的な施策を行い、憲法二十五条に書かれている国の使命を果たす一翼を担ってきました。しかし、いま地方分権化の流れの中で、福祉制度でも自治事務が増え、特にひとり親の自立支援などについては自治事務によってできることがたくさん出てきています。
――コミュニティリンクでは行政職員とNPO職員の連携がとれているようですが、両者の待遇面で問題などは起きていないのですか。
公務員と給与水準は違うかもしれませんが、NPOの職員はボランティアではなく、きちんと給料が出ています。ニュージーランドのNPOは、一般の会員や企業等からの寄附もありますが、一番大きい財源が政府との契約に基づく補助金になっていて、コミュニティリンクと契約しているわけではありません。社会開発省、保健省、教育省などの各省庁が様々な支援プログラムをもっていて、そうした補助金に民間組織が応募して、競争で選ばれるとコミュニティリンクなどを拠点にしてサービスを提供するという仕組みです。
政府と契約を結ぶ補助金制度では、アドボカシーなどを含め、信頼性の高い組織が選ばれています。また、契約はアウトプットに対して、例えば、年間 10人のひとり親を就労に結びつけるなどの目標値を定めたうえで結ばれ、評価を行って次年度の契約締結の可否が判断されます。行革期以降、政府はアカウンタビリティが問われているため、透明性をもって実施しなければならなくなっています。今回の調査で見てきた組織については、そうした仕組みの中で公的な資金源で有給のスタッフを雇用していました。
また、スタッフの資格要件を見ると、コミュニティリンクの政府職員よりも、民間組織のスタッフのほうが厳しくなっていて、ソーシャルワーカー、保健師、カウンセラーなどの有資格者となっています。ニュージーランドでは年齢制限が人権法で禁止されており、労働市場の流動性が高く、循環しているため、転職率が高くなっています。そのため、企業で働いている人や、自分自身もひとり親だった人が転職して職員として力を発揮できる状況があるようです。国家公務員についても中途採用が義務付けられており、コミュニティリンクの現場職員から本庁のチーフエグゼクティブなどの幹部職員まで新聞で公募が行われています。福祉の現場職員は無資格で働き始め、仕事をしながら経験を積んでいく人が多いようです。
民間スタッフの職員は決して給料は高くないと思います。社会貢献意識が高いためなのか、非政府であることにやりがいを見出しているのか、まだはっきりとわかりませんが、日本とは価値観が違っているような印象を受けました。そして、政府職員と民間組織のスタッフが対等な立場でうまく連携しています。政府にしかできないこともある一方で、政府だからこそできないことがあるということを現場の福祉や保健の専門家は感じているのではないでしょうか。その辺りを今後の研究で深堀していきたいと思います。ただ、やはり“民”の力が強くないと、社会は活性化しませんし、課題への取り組みも進んでいきません。
――日本は“民”の力が強い社会だったはずですが、最近は公務員になりたい、大企業に勤めたいという安定志向の若者も増えていますね。
“民”の力というのはもちろん企業や法人の力だけではなく、ソーシャル・キャピタル(社会関係資本)も重要な“民”の力です。ニュージーランドでは “民”の力がしっかりしているからこそ、コミュニティリンクのような政府機関との連携をきちんととることができ、循環していくのだと思います。コミュニティリンクの政府の現場職員が繰り返し言っていたのは、自分たちだけでは問題解決できない、ということでした。そして、民間組織の職員も同じことを言っていました。つまり、どちらも同じ言葉を話しているということを今回実感できました。ニュージーランドでもソーシャル・キャピタルがどれぐらい構築されているかによって地域格差はあるようですが、ハントリーに関してはコミュニティリンクの取り組みは成功しており、社会システムを考えるときには、非常に参考になると思います。
――ニュージーランドでは省庁のタテ割がどのような状況になっていますか。
過去のタテ割に対して強い反省があったのではないでしょうか。他省庁へのセコンドメント(配置換え)があり、省庁間の人事交流を盛んに行っています。プロジェクト制になっているようで、期間を決めて、週に何日かは他省庁でも仕事をするということを行っていました。それによって他省庁との風通しがよくなり、コミュニケーションがとれて、つながりが生まれます。タテ割をなくしていくのは結局、“人”によることでしかできないので、このように互いに人を送りあい、そうしなければ問題の本質的な解決ができないということに気づいているという印象を受けました。今回、話を聞く中で、以前よりもタテ割をなくす取り組みが進み、政府自体の意識が高まっているように感じます。ただし、ニュージーランドではこうした取り組みが進んでいますが、決して自己評価は高くありません。私はニュージーランドの良いところは、常に反省して次に向って行くところだと思います。悪く言えば、コロコロと制度が変わるということにもなりますが、常に動いているという印象があります。
例えば、ニュージーランドの人たちは先住民族であるマオリとの間で、ワイタンギ条約をつくったことをこれまで誇りに思ってきました。しかし、条約には英語版とマオリ語版があり、マオリ語版は翻訳であるが故にマオリの人たちが誤解をして、不利な立場に置かれるようになったとして、条約に問題があったことを80年代の労働党政権が認め、マオリの人たちに謝罪しました。そして、ワイタンギ条約に基づいて行われた土地売買を全て見直すという、世界の先住民族問題から見ても、課題解決に向けた非常に画期的な取り組みを行いました。
このように反省をして、次に向って行くというニュージーランドの長所は、社会保障、社会福祉行政にも見られることです。ワイタンギ条約の見直しを行う以前である60年代にも、福祉行政がマオリ文化に対して配慮が足りなかった、依存問題を発生させるなど不利な状況に置いてきたのではないかということを社会福祉省の職員たちが言い出し、調査を始めていました。そして全国のマオリ部族を回るなどして行政組織の見直しを行いました。責任追及よりも、何が問題だったのか、なぜなのか、を追及する姿勢を常にもっています。常に試行錯誤を続けることを厭わないのです。ニュージーランドは新しい国なので、自分たちでつくっていくという意識が強いということはあるかもしれません。ニュージーランドの人はいま行っている先進的な取り組みについても、試行錯誤中であると思っているだけで、完成された形をつくり上げたという意識はありませんが、世界から注目を集め、実際にたくさんの国から調査が入っています。